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インタビュー

アクタ誕生から現在にいたるまでの秘話を4代目社長へのインタビュー形式でご紹介します。

古くから織物の町だった磐田

千葉
まずは株式会社アクタが誕生した経緯を教えてください。
芥田
1914年(大正3年)、初代の芥田亀太郎が静岡県・天竜川の河口にある竜洋町で布の機織り業を始めました。芥田亀太郎は非常に商売熱心で、当時は電気がなかったことから、昼間の明るい時間に機織りをし、夜暗くなってから提灯を持って田植えをするといった人でした。織物業を営むほかにバス会社も所有していました。

二代目・芥田實(みのる)の時代になってしばらくすると、第二次世界大戦に突入します。二代目はシベリアに抑留されるのですが、帰国後、再び磐田市で仕事を再開してワイシャツの生地織業を始めました。そして1950年(昭和25年)「芥田織布株式会社」を設立します。

ここ静岡県西部の遠州地方は古くから織物産業が盛んな土地柄で、地元では「織り屋」と呼ばれ親しまれてきました。しかし時代とともに多くの工場が閉業してしまい、現在では当社が旧磐田市にある最後の織り屋となってしまいました。

かつての織り工場

千葉
織物業は地域産業だったわけですね。
芥田
そうです。そして三代目・芥田修治(しゅうじ)のときに、現在のニューハレテープが生まれました。

四代目のお腹でテストしたニューハレテープ

千葉
ニューハレテープはどのようにして生まれたのでしょうか。
芥田
1960年代の初め頃、三代目が大手繊維メーカーの日東紡績から伸縮性の糸を使った包帯の製造を提案されたことを契機に、ポリウレタンの弾性繊維「LYCRA(ライクラ)」を使用した日本初の伸縮包帯を製品化します。さらに「粘着剤をつければ医療分野で役立つのではないか」と思い立ち、1974年にニューハレの原型を完成させました。
千葉
ライクラというのは水着やスポーツウェアなどに使われる伸縮素材ですね。
芥田
はい、そうです。当時、消耗品であるテーピングテープに高機能なライクラを採用することは非常に画期的なことでした。糸の中心部にライクラを用いて綿糸でカバーリングすることで、高い伸縮機能とコットンの風合いを生み出しました。

このとき技術面を後押ししたのが、大手粘着剤メーカーが開発したアクリル系透明糊でした。一般的な糊のようにゴムアレルギーを誘発するラテックス素材を用いていないため、かぶれにくいという大きなメリットがあったのです。
千葉
糊の安全性を確認するため、当時まだ赤ちゃんだった四代目のお腹でテストしたと伺っています。
芥田
そうなんですよ(笑)。父である三代目は「皮膚に直接貼るものだから、なにより安全性が第一だ」と考え、生まれたばかりの私のお腹に試作品を貼ってテストしました。

初回のテストではテープを貼ったお腹の部分が真四角にかぶれてしまったのですが、糊の配合を変えたところ、二回目のテストでは一週間ほど貼り続けても私のお腹にトラブルが出なかったことから、「1次試験パス!」といった具体で、発売に踏み切りました。ですから、私はニューハレを兄弟みたいな存在だと思っています。

私の誕生年と同じ1974年(昭和49年)に糊のついた伸縮性包帯「ニューハレ」が誕生し、翌1975年(昭和50年)に医療分野で発売することになりました。同時に、メーカーとして新たな会社「株式会社アクタ」を設立しました。

祖父の代から続いていた「株式会社芥田織布」は、完成した布を産元(産地元売り)へ納品する下請け工場でした。父は下請けではなく、メーカ—として製造販売することを目指していたため、社名から「織布」という名称をなくしたかったと言っていました。自動車メーカーのブランド名のように。ですから、メーカーでありながら販売も行うことができる「株式会社アクタ」の創設は、父の念願が叶った形といえます。

医療用製品の広告写真

一貫した自社管理がアクタの強み

千葉
アクタの強みはどんなところにあるとお考えですか?
芥田
糸の買い付けから製品づくり、箱詰めに至るまで一貫して自社で行っているところです。まず、国内糸商社から綿糸を買いつけて、先ほどお話ししたライクラとともに下請け工場で織ります。糸には強度を保つための糊がついていますので、その糊を取った後、アパレル製品専門の工場で染色します。

何代にも渡ってアクタを支え続ける磐田市の織り工場

千葉
バリエーション豊かなカラーはアパレル製品の工場で染めているわけですね。
芥田
染める際に高温になるので、ライクラが縮むんです。それをちょうどいい伸縮率で止める技術がとても重要で、製品の伸縮率に影響してきます。各色の布地ロールが完成したら、それを大手糊着材メーカーに出荷して、アクリル系の透明粘着剤と糊面を保護する剥離紙をつけます。

その後、再びロールがアクタ社内に戻ってきて、三代目が開発したロール巻き取り機械とスリット入れ機を使って製品サイズにカットしていきます。最後に検品を行って、シュリンク包装(フィルム包装)をした後に箱詰めをして出荷です。
千葉
本社や磐田市内の工場を見学させていただき、メイドインジャパンの仕事の精密さ、誠実なものづくりをさを実感しました。
芥田
ありがとうございます。社内から出て行った糸がロールになって再び社内に戻ってくることで、徹底した品質管理が実現できているのが当社の強みです。綿糸はパキスタンなど海外から輸入していますが、それ以外の工程はすべてメイドインジャパンであることがアクタの誇りと言えます。

本社では出来上がったロールテープを一つずつ手作業で検品し、箱詰めを行う

次代を視野に入れたスポーツ分野への参入

千葉
医療用テープ製造から、どのようにしてスポーツ分野へ参入していったのでしょうか。
芥田
きっかけは2003年に静岡県内で開催された「わかふじ国体」でした。地元の磐田市がバスケットボール会場となったため出展させてもらい、リサーチを行ったのです。平日ということもあって試合を観戦に来るお客さまはご高齢の方がメインだったのですが、皆さんにお悩みを聞いたところ、圧倒的に多かったお声が外反母趾と膝の痛みでした。
千葉
そうしたお悩みが多いのは、その当時もいまも変わらないように思います。
芥田
長寿国家になり、お悩みはさらに増えているかもしれませんね。会場でわかったことは、皆さん痛みがあるんだけれども、自分ではロールテープは難しくて貼れないということ。

それなら誰でも貼りやすいよう事前にカットした製品をつくればいいのではと思いつき、「ひざ軽やかテープ」と「ガイハン健やかテープ」という商品を考案しました。これが現在の「Vテープ」「Xテープ」の原型になっています。
千葉
国体の現場でアイデアが生まれたわけですか。
芥田
2000年代前半は病院も倒産するような時代に突入していて、病院では医療雑品のコストを下げる傾向がどんどん強まっていました。当社は品質のよさを強みにしているのに、価格だけで判断されるようになっていたのです。それで、どうしたら品質を理解して手に取っていただけるだろうかと考え、スポーツ分野の開拓を決断しました。
千葉
時代に背中を押されたわけですね。
芥田
そう言っていいと思います。実はもうひとつ理由があるのです。経済界、実業界を見てみると、起業をしたり大きな仕事を成し遂げたりした人たちの多くが30代前半でひとつの決断をしているんですよ。アクタの初代も三代目も30代前半で事業に関する決断をしています。2004年当時、私は29歳だったのですが、自分にも新たな創造にチャレンジする時期が来たのだなと感じました。

イベントや大会のブース出展を想定してカスタムしたニューハレカー

カラーバリエーションで新たな価値観を創出

千葉
当初はパッケージデザインのディレクションやカラーバリエーションの展開、マーケティングやPR、マラソンやトレイルラン大会での直接販売など、すべて一人で手がけていたと伺っています。
芥田
いきなり畑違いのスポーツ分野に参入し、はじめは孤軍奮闘していました。2007年に東京マラソンがスタートして全国でマラソンブームが起こります。それを機に、まずは個人スポーツで活用してもらうのがいいのではと思い、2010年代前半はとくにマラソンに力を入れていました。社長ブログやTwitterなどのSNSを駆使し、WEB上でのプロモーションも積極的に行っていました。

2008年「OSJ志賀野反トレイルレース」に出展。現在に繋がるたくさんの出会いがあった日

千葉
そうした情報発信を通して、ニューハレを身近に感じたランナーも多かったのではないでしょうか。
芥田
とにかく品質のよさを知っていただきたいという想いが伝わったのかもしれません。次第にさまざまなトップアスリートとのご縁も生まれました。そうしたご縁はいまもこれからも、アクタにとってかけがえのない財産だと思っています。

また、他社に先んじてカラーバリエーションを展開したことは、市場の開拓にも繋がりました。テーピングの有用性に加えて、ファッション性という新しい価値観を生み出せたのではないかと自負しています。

Vテープ初のコラボレーション企画。トレイルランナー石川弘樹さんとアイデアを練り上げた

オンリーワンであれ、ホンモノであれ

千葉
先代はスポーツルートの開拓について心配されていたと伺っています。
芥田
そうですね。2013年に他界するまで、ずっと心配していました。だからこそ、まずは小さなカテゴリーの中でナンバーワンになり、それから大きなジャンルでオンリーワンになろうと心に決めました。

私は10代の頃に家業に入り、昔気質だった父からビジネスを進める上でのモラルや人との付き合い方などを厳しく叩き込まれました。先代が培ってきた商売のやり方を継承するだけでなく、四代目として自分なりの世界を築かなければいけないと言われてきたのです。

先代が30歳でニューハレテープを完成させたように、自分も30代で次の時代を切り拓くような製品、ビジネスを生み出さなければいけないとずっと考えてきました。その強い想いがあったからこそ、いまの事業展開があると感じています。
千葉
かつてテーピングは怪我をした際に使用するイメージでしたが、ニューハレの登場によって、予防として貼るという新たな視点も加わったように思います。
芥田
そうなんです。こうした仕事をしていると、中学高校、大学などの部活でも、怪我で苦労して思うように競技に打ち込めない学生さんたちの話をよく聞きます。そうした怪我や故障の予防にもテーピングは効果的です。

今後はスポーツに情熱を傾ける学生さんたちにも、より広くテーピングの効果を知ってもらえるよう伝えていきたいと思っています。
千葉
誰でも簡単に貼れることで、競技者だけでなく、生涯スポーツを楽しむ愛好家の方たちも気軽にテーピングを取り入れられるようになりました。
芥田
若い頃は怪我や故障に無縁でも、年齢を重ねるにつれ疲労が抜けにくくなって怪我をしてしまうことがあります。現在ではマラソン、トレイルランニング、自転車、スポーツクライミング、クロスカントリースキー、SKIMO、ラグビー、ゴルフ、テニスなど幅広いジャンルで、トップアスリートから愛好家まで幅広い方々にご愛用いただいています。

人生100年と言われる時代、充実した日常生活をおくるための健康寿命は最大の関心事です。いまはオンラインでさまざまなことが完結してしまう時代ですが、これからも各地のイベント会場や本社内に設けた「New-HALE® Taping Development Studio(NTD Studio)」で直接お客さまのお悩みを伺ったり、取扱店舗様や整骨院の先生方を通して貼り方をお伝えしたりして、健やかな暮らしを支えるお手伝いをしていきたいと考えています。

日本全国、世界各地にいらっしゃる潜在的にテーピングを必要としている方々に、高品質な製品とケア技術をお届けすることがアクタの使命だと思っています。

アクタを支える社員・スタッフたち