古くから織物の町だった磐田
- 千葉
- まずは株式会社アクタが誕生した経緯を教えてください。
- 芥田
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1914年(大正3年)、初代の芥田亀太郎が静岡県・天竜川の河口にある竜洋町で布の機織り業を始めました。芥田亀太郎は非常に商売熱心で、当時は電気がなかったことから、昼間の明るい時間に機織りをし、夜暗くなってから提灯を持って田植えをするといった人でした。織物業を営むほかにバス会社も所有していました。
二代目・芥田實(みのる)の時代になってしばらくすると、第二次世界大戦に突入します。二代目はシベリアに抑留されるのですが、帰国後、再び磐田市で仕事を再開してワイシャツの生地織業を始めました。そして1950年(昭和25年)「芥田織布株式会社」を設立します。
ここ静岡県西部の遠州地方は古くから織物産業が盛んな土地柄で、地元では「織り屋」と呼ばれ親しまれてきました。しかし時代とともに多くの工場が閉業してしまい、現在では当社が旧磐田市にある最後の織り屋となってしまいました。 - 千葉
- 織物業は地域産業だったわけですね。
- 芥田
- そうです。そして三代目・芥田修治(しゅうじ)のときに、現在のニューハレテープが生まれました。